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目次
<神社紹介>
<行き方>
<過去の物語>
<神社紹介>

龍宮城のような島
福岡県糸島市の風光明媚な箱島(はこしま)に鎮座する箱島神社。
江戸時代には龍宮城と称えられた景勝地。地元の方に「箱島さま」と呼ばれ、愛の神様・耳の神様と親しまれています。
愛の神様である愛染明王は恋愛を助け、美貌になると信仰されてきました。
令和元年に始めた御朱印で有名になり、映えスポットとして日本全国および外国から観光客が増えています。
*お知らせ:現在は写真のような橋ではなく、コンクリートの道に変わりました。
橋が壊れていた期間は島に入れませんでしたが、現在は入れます。満潮時でも箱島に行けます。
島の入口にある鳥居
島の入口にある一つ目の鳥居。
岩の階段と未舗装の道のため、ゴム底の歩きやすい靴をお勧めします。
ハイヒールの靴や厚底ブーツを履いて上り下りするのは危ないです。
岩の階段を登り、奥に進むと二の鳥居・三の鳥居があり、島の一番奥に祠があります。
御祭神とご利益
~ 愛の神様 - 恋愛と美貌アップ ~
・塞坐三柱大神(さやりますみはしらのおおかみ): 村境や交差点で禍事(悪いもの)の侵入を防ぐ地域の守護神。
・西宮大明神(にしのみやだいみょうじん): 恵比須様として知られる商売繁盛の神様。
・愛染明王(あいぜんみょうおう): 愛の神様。近世では、恋愛を助け、遊女を守る神としても信仰された。「この愛染明王を信仰すると美貌になる」と信じられていたそうです。
また、箱島神社は耳の神様としても信仰され、奉納されている火吹き竹で耳を吹けば耳の病が治癒すると言い伝えられています。(火吹き竹とは、火を起こす時に空気を吹き込む竹筒。昔は台所の竈(かまど)や風呂を焚く時に使用した生活必需品)
例祭
毎年4月21日 14時、地元の方々によって、1年に1度の例祭が斎行されます。

御朱印は鎮懐石八幡宮で授与
箱島神社に社務所は無く、誰もいません。
御朱印を希望される方は、箱島神社から車で7分の鎮懐石八幡宮(宮司の本務神社)でお受けください。
土日祝 9:00 - 17:00
月〜金 9:00 - 16:30(月曜日〜金曜日は、当面の間16時30分に社務所を閉めます。)
TV番組 HONDA『夢・クルーズ』
令和7年(2025) 2月27日 放送
ホンダ(本田技研工業)の観光テレビ番組で箱島神社が紹介されました。(2分50秒)
<行き方>
<箱島神社の所在地>
福岡県 糸島市 二丈浜窪86

入口の目印は「箱島」の看板です。
未舗装の細い道を降りていきます。
【駐車場】下の3ヶ所をご利用ください。
神社の駐車場がないため、以下のいずれかに駐めてください。
(A) かふりパーキング(200円, 徒歩4分)
(B) 加布里公園の駐車場(無料, 徒歩9分)
(C) レストラン駐車場(500円, 徒歩1分)連休中(晴れた日)の10時〜14時は1,000円。
*違法駐車は罰金1万5千円取られます。
(A) かふりパーキング (MAP)
箱島神社まで300m。徒歩4分。12台。
1時間 ¥200円(箱島の滞在時間は30分〜50分)
前払い制:看板横の機械に料金を入れ、領収書をダッシュボードの上に置く。
箱島神社まで700m、徒歩9分。無料。(箱島まで歩く時、路側帯が狭いため、車が怖いと感じるでしょう)
公園の入口には看板がなくわかりにくい。細い上り坂を車ごと公園内に入り、空き地に駐車します。(道路沿いのスペースと勘違いしないでください。道路脇は駐車禁止マークがあり、駐車できません。)
(C) 和海(なごみ) 離れ (MAP)
地魚料理レストラン Fish Restaurant
箱島神社まで徒歩1分。500円。5台。
箱島の向かいにある海鮮レストラン。テイクアウトのコーヒーもある。
糸島産の魚だけを使った姿作りの刺身と煮付けの魚料理。表示金額は2人前の料金。(海鮮丼は無い)
注文から料理提供まで約20分。海鮮丼のお店は屋外で1時間待ちの行列のため、結果的には当店の方が早く食べられる。
昼食も夕食も営業 (11:00~21:00)
・食事をする人は駐車料金は無料。屋外テラス席では、箱島を眺めながら食事をすることができる。
・食事をしない人でも、前払い制で500円の駐車料金で車を駐めることができる。(箱島に行く前に、お店に支払う)
路上駐車で罰金1万5千円も取られるのはバカバカしいので、200円の有料駐車場に停めましょう。
路上駐車禁止 (違反金15,000円)
国道202号線は路上駐車禁止で警察が取り締まり中です。道路の両側に駐車禁止の標識があり、反則金1万5千円を取られます。
なにより交通事故の危険性があります。
また、ゴールド免許の場合、2点減点されブルー免許になってしまいます。
【道路交通法】
どこからどこまでという範囲指定の補助標識がない「駐車禁止」標識の効力は、その区間もしくは区域全体に及びます。
箱島の「駐車禁止」標識には補助標識がないため、箱島の周辺一帯が駐車禁止です。
以下全てのケースが駐車違反となり反則金を取られます。
・路肩の広い所に、車が白線から道路にはみ出さないように駐めた。
・車に人を乗せたまま駐車した。
・エンジンを掛けたまま駐車した。
・ハザードランプを点けたまま駐車した。
・短時間だけ駐めた。
・・・これらは全てアウトです。車に人が乗っているか否か、エンジンを掛けているか否か、ハザードランプを点けているか否か、停止時間の長短は、全て関係ありません。
「駐車禁止の場所に駐車している」ことが駐車違反であり、違反金を取られます。
駐車料金200円をケチって罰金1万5千円も取られるくらいなら、有料駐車場で200円を支払った方がマシです。
たった200円を支払うだけで、警察/パトカーを心配せずに安心して観光を楽しめます。
JR筑前前原駅で下車、北口駅前の観光協会などで自転車をレンタルして、箱島神社までサイクリングできます。➡︎自転車レンタル方法&サイクリングコース
JR加布里駅で下車し徒歩32分。
JR一貴山駅で下車すると徒歩25分。(歩道がなく、路側帯が狭いため歩く時に怖い。このためGoogleマップは加布里駅に行くよう誘導します。)
JR筑前前原駅で下車し、北口でタクシー乗車。西日本タクシー(092-322-2233)、昭和タクシー(092-322-2234)、ワーカーズコープタクシー福岡(0120-848-660)
<過去の物語>
料亭が立ち並ぶ箱島
約100年前の大正5年(1916年)から昭和18年(1943年)にかけての27年間、箱島は料亭・茶屋が立ち並ぶ有名な遊興地でした。
写真の絵葉書には「水郷 箱島千鳥の夕照」と書かれています。千鳥とは料亭の名前です。
(以下の写真等を使用される場合は、サイト運営者『綿屋文庫』にメッセージを送り、許諾の確認をされてください。)
名勝 箱島
二丈浜窪と加布里の境に「箱島」という小さな島がある。加布里湾に突き出したこの島は、昔から糸島の風光明媚な景勝地として有名であった。
江戸時代には、博多聖福寺の住職・仙涯和尚(せんがい おしょう:江戸時代後期の臨済宗禅僧で画家、1750-1837年)も度々訪れ「幾千代か 浦島の子の 玉手箱 隠してここに 沖津しら波」という歌を詠み絵にも残している。
大正5(1916)年、加布里港の南側の丘を開削し、姫越公園(現在の加布里公園の西側海岸)と名付けて此の里亭や太田屋といった茶屋を設け、箱島にも「料亭箱島」という数寄屋造りの料亭が立ち並び、筑紫富士と謳われた可也山を水上より望む名所として大正から昭和初期にかけて、この一帯は遊客には広く知られた遊興地であった。
炭鉱王として名高い伊藤傳右衛門(いとう でんえもん)も妻の柳原白蓮(やなぎはら びゃくれん)と共に訪れたと云われ、白蓮は伊藤家から出奔した大正10(1921)年に、傳右衛門への離縁状を朝日新聞に掲載したが、傳右衛門はそれに対しての反駁文を大坂毎日新聞に掲載した。その中に「早良郡の箱島に遊びに行ったとき、その箱島が気に入ったからあの島を買ってくれと頼まれた時には全く二の句が告げなかった」とある。しかし、その箱島の茶屋も昭和18(1943)年頃に襲った台風によって倒壊してしまい、現在、当時の建物等は残っていない。
「北に筑紫富士を望み四周の連峰静かに影を投じ、一大湖水の観があって風光明媚。殊に夏月の納涼に至りては興味言外に在り」とも云われた箱島は、現在観光ブームの糸島にありながらその影を潜めている。
2008年6月24日 唐津街道歴史研究所
生簀(いけす)
波止場/防波堤のような岩場は料亭の生簀の名残です。
野田別荘のライトアップ
昭和20年~30年代頃(1940年代〜1960年頃)、箱島を見下ろす山に『野田別荘』と呼ばれる建物がありました。2階からは箱島が一望できる素晴らしい景観だったそうです。
夜は、野田別荘から箱島に向けてライトアップされていました。
冬12月には沢山の子供たちがクリスマスパーティーに招待され、現在70代80代の方々には素敵な思い出が残っています。地元の浜窪だけでなく、深江や福吉の子供たちもお呼ばれして、行くとお菓子をもらえました。「ほんとに楽しみだった」と口々にお話しされます。
野田別荘の方は浜窪で保育園を経営されていました。現在は浜窪公民館になっていますが、館内には当時の保育園の写真が飾ってあります。
野田別荘にお住まいの方は伯爵(?)だったため皇族の方々もお越しになられ、奥様の友人である柳原白蓮(やなぎわら びゃくれん)もよく訪れていたそうです。
冠(かんむり)から加布里(かふり)に漢字を変更
吉備真備が冠を置いた石
箱島神社に行く途中、お地蔵様が乗った石があります。この石は『冠石(かむりいし)』と呼ばれ、奈良時代・天平勝宝(749~757年)の吉備真備にまつわる故事から生まれたものです。
<吉備真備(きびのまきび)>
吉備真備(695年生まれ)は備中(岡山県)出身の公卿。菅原道真と並ぶ奈良時代の大学者、政治家。 遣唐留学生、遣唐副使として二度にわたり入唐し、その知識を政治文化に反映させた。
・霊亀2年(716年 21歳)第9次遣唐使の留学生となり、翌養老元年(717年)に唐に入国。天平7年(735年)10月に40歳で帰国。唐で18年間学び、「日本の留学生で唐で名をなした者は吉備真備と阿倍仲麻呂の二人のみである」とまで称された。
・天平勝宝2年(750年 55歳)地方官である筑前守次いで肥前守に左遷された。
・天平勝宝4年(752年 57歳)遣唐副使として唐に渡り、翌年753年に帰国。
・天平勝宝6年(754年 59歳)再び九州地方に下向する。11年間に渡り筑前国に滞在。天平勝宝8歳(756年 61歳)新羅に対する防衛のため筑前国に怡土城(高祖城)を築いた。
・天平宝字8年(764年)正月に70歳となった真備は、造東大寺長官に任ぜられ帰京。
*80年の人生の中で、福岡に約14年間に渡り滞在(途中、遣唐使としての期間あり)
<『冠石』(かむりいし)の故事>
吉備真備が福岡にいた時、または遣唐使として唐に渡る時、箱島の近くを通った時に石の上に冠を置いたという伝承が残っています。
この伝承から、冠(かむり)石は、「冠(かむり)」(現, かふり)の地名由来になった。
<「かむり」という地名>
明治の初め、加布里を「かむり」と言い、「かふり」とは言いませんでした。
昔々、天平勝宝のころ、大宰大弐であった吉備真備が領内巡視の途中、姫越海岸(現 加布里公園から箱島の海岸)休息したそうです。
そのときに、そばにあった岩の上に冠を置いたことから、この付近の地域を「かんむり」・・「かむり」と呼ぶようになったと伝えられています。
明治七年に、加布里に開校された小学校は「冠小学校」でした。
(出典:加布里コミュニティセンター)
(1) 海に包まれる感覚
箱島は直角に曲がる道の先に島があるため、三面が海に面しています。地形的に、海に包まれる感覚を体験できます。
また、地図を縮小(ズームアウト)すると糸島半島の大きな入江のように見えるため、海というより「湖」のように感じることもできます。かつて「一大湖水の観があって風光明媚」と言われたのは、この地形のためです。
(2) 歩いて渡れる島
糸島には海岸沿いに風光明媚な島や岩(二丈浜窪の箱島、二丈吉井の羽島、二見ヶ浦の夫婦岩、野北海岸の岩)があります。
このうち、島に橋を歩いて渡れるのは箱島だけです。箱島は陸地から近く、橋を掛けることができました。
橋を歩いて渡っていくと、神聖な雰囲気が強くなります。
(3) 巨石による龍宮城の雰囲気
大きな石/岩でできた島は神聖な雰囲気があります。糸島の山々にも巨大な石があり、神社を建てて崇敬してきました。城山(123m)にある浜窪の高嶽神社、田中の八幡八幡宮、一貴山の大田神社など。二丈岳(711m)や立石山(210m)等の頂上は巨大な石です。
(4) 海に沈む夕日
箱島は年間を通して夕日を見ることができます。海に沈む夕日を見ることができる場所は景勝地としての魅力が増します。
(5) 薄明光線/天使の梯子
冬(12〜2月)、箱島の西側の海に薄明光線(天使の梯子, 天使の階段)が現れます。太陽・海・箱島の三つが絶妙な位置関係にあるため、神々しい光景を生み出します。曇りの夕方に現れます。
箱島神社の所在地:
福岡県糸島市二丈浜窪86
<著作権>
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